第2回東日本大震災支援ボランティア

この記事は2011年7月12日に投稿されました。現在の状況とは違う可能性がございます。

50周年実行委員長の勝又利浩です。

第2回東日本大震災支援ボランティア報告をさせていただきます。今回は、宮城県亘理郡山元町へ行って参りました。

7月2日(土曜日)午前0時、JCメンバーに見送られ、ボランティア参加者総勢26名は宮城県亘理郡山元町へ向け、御殿場市民交流センターふじざくらより出発いたしました。今回JCメンバーからは、嶋田直前、若林市長と勝又(利)が参加しました。

まずバスの中では、御殿場市社協の雨宮さんより、これからのスケジュール・ボランティアの心得などの説明がありました。最初は、皆さん緊張した様子から、バスの中までも緊迫したムードが漂っておりました。その雰囲気も、2日目は公務のため強行日帰りで参加された若林市長の挨拶そして掛け声により、少しずつ和やかな雰囲気に変わり、被災地までの道中を過ごすことが出来ました。バスでの移動時間は非常に長いですから、工夫して過ごしたいと感じました。

午前8時頃、宮城県山元町に到着。ボランティアセンターへ向い、作業内容の確認を行いました。1日目は山元町にあります、いちご農園へ向うことになりました。山元町は、とてもいちごが有名な町で、今回行った場所が、唯一現状では再生可能な農園のようです。そこで私たちは、ビニールハウスの組み立て、いちごの苗付けなどまさに農業体験をさせていただきました。この町の特産物であるいちごを、復興の手掛かりと考える山元町の希望に対し、力添えになれたことが、何より嬉しかったです。また、この農園の皆さんの人柄の良さ、子供たちがとても元気で、いい笑顔だったことがすごく印象的でした。午後3時頃には終了し、宿泊先の名取市へバスで向い、1日目は終了しました。

いちごの苗付け ビニールハウスの組み立て いちご農園のみなさんと

7月3日(日曜日)は、午前7時30分に集合し、昨日と同じように山元町ボランティアセンターへ向いました。2日目は、昨日よりも海岸方面へ向かい、津波の影響で側溝に溜まったヘドロをかき出し、そのヘドロを土嚢にする作業を行いました。単にヘドロといっても、その中にはガラスの破片や瓦やテレビのリモコンなどいろんなものが含まれておりました。昨年9月の小山町台風災害ボランティアの作業のような感じでしたが、この日の気温は30度を超え、時折日差しも強く、体力勝負となりました。30分に1回休憩をとるインターバルで、熱中症にならないよう注意しながら黙々と作業を続けました。

側溝のヘドロかき1 側溝のヘドロかき2 参加者の集合写真

この地区は、現在でもほとんどの方が住んでおらず、ようやく避難指示が解除されたようです。津波によってあらゆるものが流され、子供のおもちゃなどを目の辺りにすると、『この持ち主の子はどうなったのだろうか?』と勝手ながら思ってしまい、『自分の家族が実際このようになっていたら…』と思うと、言葉になりませんでした。4ヶ月が経とうとしている今でも、津波災害の恐ろしさを肌で感じることとなりました。

被害1 被害2 線路がなく動かない電車

午後3時には作業を終了し、名取市のスーパー銭湯で1日の汗を流し、午後5時には宮城県を出発しました。途中のサービスエリアで、宮城のお土産もしっかり購入しました。7月4日(月曜日)午前0時頃、御殿場へ到着し解散となりました。

今回、実際に起きた現実を、自分の目で確認できたことは、これから生きていく上で、私自身の経験値として大きな財産となりました。自分で経験したこと、見てきたことを、しっかり家族や仕事場でも話しをしたいと思います。そして、最後に山元町の方がお別れ時におっしゃられた、「皆様と共に作業し、新しく生まれ変わった山元町の姿を、数年後、是非見に来て下さい。」という言葉に胸が熱くなりました。

一般ボランティアとして参加された22名の皆さん、そして富士旅行さん、ふじよし観光バスさん、御殿場市社協の雨宮さんに対し、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

以上、報告とさせていただきます。

被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。