東日本大震災 災害ボランティアinいわき

この記事は2011年6月29日に投稿されました。現在の状況とは違う可能性がございます。

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     理事長の勝又です。                                                                                                     

我々御殿場青年会議所が発起人となり、御殿場市・小山町が主催して「東日本大震災 災害ボランティア」を3回開催することになりました。第1回 福島県いわき市   第2回〜第3回 宮城県山元町

 第1回目が先週25日(土)・26日(日)の2日間いわき市での活動で、現役メンバーが私、あとJCのOBが2名役員で参加し、市民・町民の方で合計25名で25日AM3:00に市民交流センターを出発。

 東名高速より首都高経由で常磐自動車道に入り、順調にバスを進め8時ころにいわき市災害ボランティアセンターに到着。雨がパラパラと降り出しましたが、「この程度では問題なくできるな」と思いながら、センターより指示された活動場所へ移動した。いわき市四ツ倉というエリアに到着しようとしたころ、雨が急に強く降り出し、しばらくバス内で待機。しかし雨が止まず、バスの中は重たい空気が漂い始めた。やはり夜中出発ということもあって、皆さん睡眠を十分にとっていないので体調が万全ではない。時期的に雨の覚悟はできていたが、いざ被災地の状況を目の前にするとはがゆい気持ちでいっぱいになった。

 雨は降り続き、役員で協議。やむなく1日目の活動は中止と決定。時間はまだ10時。はて?これからどうしよう。なにせ外での作業しか考えてこなかったので、雨対策はまったくのノープラン。

 とりあえずセンターに戻り他にできることを担当者に確認するも厳しい返答。やはりすべての場所で屋外の活動が中止となったので、センターに人が集中。ましてやわれわれは団体での参加なのでなおさら難しい。

 そんな時センターの方が、「いわき市内で最も被害が大きかった場所を見てきてください。そして見た光景を地域の方々に伝えてください。これも被災地にこなければできないボランティアです。」とのご提案を戴きました。センターの方に感謝しながら、一路いわき市内の久ノ浜という地域で向かいました。

 そこに見えた光景はよくテレビで見る「家屋が基礎を残してすべて流れてしまったあの映像」そのもので、その先には福島第二原発も見えるとこででした。私は石巻でも同じ光景を見ていたので、ここでも同じ光景を目の当たりにするとともに、この震災があまりに広大すぎることを改めて肌で実感したのでした。結局その日は復旧中の小名浜港を経由してホテルへ到着。次の日に備え、ゆっくり休むことにしました。

 26日朝 天候はくもり。ただ天気予報は「雨」。不安を抱きながらセンター経由で先日伺った四ツ倉地区に向かう。我々の作業は何軒もの家から出された廃棄予定の物の仕分け作業。写真にもありますが、可燃ごみ・不燃ごみ・資源ごみ・家電製品などに分別する作業で9時から25名でとりかかりました。初めは順調に進んだのですが、途中からとたんにペースダウン。その原因は「臭い」。始めは良かったのですが、下にいくにつれて中に閉じ込められていた臭いが出てきて、作業している方々も大変きつそうでした。それはそうです。もう震災から100日以上が経過しているのだから、匂って当然なのです。

 片付けている物の中からはいろいろなものがでてきました。2時46分で止まっている置時計。津波がきたと思われる3時30分ころを指す壁掛時計。夕食にたべるはずだった炊飯器の中のカビている白米などなど。片付けは結局すべて終えることができませんでしたが、参加者の方々は15時の終了時間までみっちり作業に取り組んでおられました。最後にその地区の区長さんに温かい言葉を戴き、帰路へ。

 事故もなく、無事に22時頃御殿場に到着し、解散。

 参加された皆さんは一様に活動に参加できたことに感謝しておりましたが、できることならまた参加したいとお話されていました。

 私は今回の企画を提案して良かったと感じています。市民・町民の皆さんの「何かできることはないか」「何かしていきたい」という熱い思いを出せる場が創れたこと、またこのきっかけはある意味出発点であり、これから復興・復旧中の被災地に向けて我々ができることを今度は市民・町民自らが発信していくきっかけにできたのでは考えております。

 「がんばろう! 東北」 〜 今できることからはじめよう 〜