やれることは何だろうか。この言葉に逃げていないだろうか、本当にやれることに筋を通しているのだろうか。何が必要なんだろうか。モヤモヤを吹き飛ばすように初めて被災地に向かった、勝又理事長・鈴木・湯山の有志達。
4月18日深夜、御殿場インターを出発。一路、石巻市災害ボランティアセンターの拠点となっている、小○田委員長の母校石巻専修大学へ向かった。東北自動車道は復旧してはいるものの、運転手湯山、波打つ道に四苦八苦!地震の爪あとは禍々しいほど深く食い込んでいた。
仙台市内にて食料の買い出しを済ませ、現地へ到着したのが、4月19日午前5時頃。石巻市内はあまりにも非現実的な景色が続く、まるでテーマパーク等のアトラクションで人為的に創られたセットの中にいるのではないかという錯覚に陥る。我々は8人チームの復旧ボランティアに飛び込んだ。なんと、ここのチームリーダーが、長野ブロック ㈳みゆき野青年会議所 小林理事長。勝又理事長の出身が長野。そして、石巻でもJCメンバー遭遇。摩訶不思議な縁を感じつつ、ボランティア管理事務所の指示で、石巻市の井内地区の日野さん宅へ。そこは、自分たちの背丈を大きく上回る津波に襲われ、ヘドロと瓦礫で1階部分は壊滅状態。1ヶ月がたった今でも全く復旧が進んでない。
まずは、すべての家財道具、そして分厚いヘドロを外にかき出していく。冷蔵庫も、畳も、布団もすべて。海水がしみ込んだ畳や布団は驚くほど重い。これら全てのものを運び出すには、年配の方では無理。家主さんも諦めのような顔をしている。彼らだけでは、どれほど膨大な時間がかかるのか想像もできない。そして、気持ちを強く持ち続けないと出来ないだろう。私達は、とにかくすべての家財と大量のヘドロを少しづつ外へ運び出す。やり続けていると、だんだんと元の家の床や壁が見え始める。すると、無言で作業をしていたご家族からも笑みがこぼれ始めた。
ボランティアの時間は規定では午前9時から午後4時。しかし、今日中に1軒分、最後までやり切りたいとみんなが思った。そして、4時半、ヘドロもなくなり、元の床が顔を出す。みんなの顔に笑顔が溢れた。 運よく、自分たちは被害に遭わなかっただけ、大切なものをたくさん失った人たちのことを他人事とせず、今回の事を胸に焼付け、しっかりと向き合っていきたい。